「西郷どん」が愛した第二の故郷、奄美大島。

「西郷どん」が愛した第二の故郷、奄美大島。 知られざる離島の物語( 前編 )

2018年NHK大河ドラマでも取り上げられた「西郷どん」こと西郷隆盛の第二の故郷。西郷隆盛の歴史をたどりながら、奄美大島を感じてみてください。

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温泉は冬に体を温めるもの、と思われがち

刀剣や歴史アニメ(ゲーム)ブーム人気も手伝ってか、このところ歴女(歴史好き、歴史ファンの女性)を名乗る人が増えていますね。特に戦国時代、幕末に興味を持つ人が多いそうですが、最近の注目人物といえば「西郷どん」こと西郷隆盛(1828~1877年)。 幕末といえば「新選組」や「坂本龍馬」にスポットが当たりがちですが、2018年NHK大河ドラマ『西郷どん』のスタート以来、人間味あふれる彼の魅力に、歴女のみならず、たくさんの人がはまっているといいます。

温泉が与える、自然のいやし

西郷どんは、薩摩鹿児島藩・下級士族の家に生まれ、後に討幕を成し遂げ、明治維新の礎を築いた人物です。
しかし、その人生は波乱万丈で、一時期、ある事情から鹿児島を追われることになります。行きついた先は奄美大島。彼の身に、一体何が起こったのでしょうか?

西郷どんが奄美大島に流された理由

西郷どんが奄美大島に流された理由

1859年(安政6年)1月、西郷どんは奄美大島の龍郷で潜居生活を始めます。もともと流人ですから、島民は彼に近寄ってきません。
そんな孤独な生活がストレスになったせいか、西郷どんは木刀を振り回す、大声を上げる、また大木と相撲を取るといった奇行に走り、島民からは「大和のフリムン(変人。馬鹿な人)が来た」と噂されたそうです。

奄美大島唯一の天然温泉

西郷どんがすさんだのには理由がありました。彼は大久保利通らと郷中(郷中教育とも。地域の少年が集まり、そこに15歳以上の先輩がついて行なう薩摩藩独自の学習方法)で学び、群方書役介として藩に出仕します。
その時、農政改革を求める意見書で藩主・島津斉彬に見いだされ、将軍継嗣運動で一橋慶喜(水戸藩)を推すなど、斉彬の側近として活躍。
しかし、1858年(安政5年)、徳川家茂を推す紀州派の井伊直弼が大老に就任すると、将軍は家茂に決まり、状況は一変。さらに尊敬する主君・斉彬が急死します。

奄美大島唯一の天然温泉

井伊大老は慶喜派、および「日米修好通商条約調印」=開国に反対する者を弾圧(安政の大獄)。西郷どんは幕府に追われ、同士の僧・月照とともに鹿児島へ逃げ帰ります。
しかし、実権を握っていた斉彬の弟・久光はこれを拒み、月照を「日向国送り」にするのです。

奄美大島流しは、西郷どんを守るため?

奄美大島流しは、西郷どんを守るため?

表向きは追放でしたが、西郷どんは月照殺害を命じられていました。「仲間を殺したくない、だけど逃げ場はない」……彼は苦悩し、最後は前途を悲観して、月照と鹿児島湾に身を投げるのです。
二人は助けられますが、月照はこと切れており、西郷どんは奇跡的に蘇生します。

奄美大島唯一の天然温泉

薩摩鹿児島藩は幕府に「二人は死んだ」と知らせ、幕府の目から隠すために、西郷どんを奄美大島に潜居させます。 自分を抜擢してくれた主君・斉彬の死、幕府の弾圧、藩の非情な対応……島に着いた時の西郷どんが、失意のどん底にあったことは想像に難くありません。
しかし、ここには彼の心を癒し、光を灯す出会いが待っていたのです。